自己紹介
歯医者になったきっかけ
歯医者になろう(歯学部を受験しよう)と思ったのは高校2年の時です。
私の家族・親族には歯医者はおらず、父もサラリーマンです。
子供のころに虫歯がたくさんあって、歯科医院は私にとって大嫌いなところでした。
痛みも臭いも口を開けつづけるしんどさも、恐怖感も体験しています。
将来自分が歯医者になるとは夢にも思っていませんでした。
そんな私が歯医者になろうと思ったのは実は挫折の末で、消去法なのです。
中学生の頃は医者になろうと思っていました。
小学6年の時に叔母が大けがをして大手術をしたことがきっかけで、
人の命を助ける仕事にあこがれを持っていました。
ただし成績があまりにも悪く、とても医学部にはいけるレベルではありませんでした。
次に目指したのは芸術の分野です。
高校生になり、現実的な進学先を考えたとき、
手先が器用だったこと、教科の中で得意だったのが美術・芸術・体育だったこと、
写真部でずっと活動していたことから芸大を目指そうかと思いました。
しかし、高2の進路指導で「美術や芸術の分野では模倣はうまいけれど、独創性がないから一流にはなれない!!」と、本当にその通りの指導を受け・・・
さんざん悩んだあげくに、
手先の器用さがいかせる医療系の分野として
歯学部を目指すことに決めたのが高2の冬。
そんな私ですが、今では歯医者が天職だと思えるようになっています。
歯医者になって本当に良かったです。
歯医者が苦手だった頃の気持ちを忘れずに、
歯医者目線ではなく、患者様目線を意識して
今後も研鑽していきます。
学生時代 (高槻中学・高校)
私が通ったのは私立高槻中学・高校。
挫折だらけの6年間でした。
中高時代は本当に成績が悪く、いわゆる「落ちこぼれ」です。
同級生270人のうち、常に200番以下。
めったに行われない家庭訪問を受けたり、
母親は担任の先生との面談で
「頑張っているのに成績が悪いのはどうしてですか?」との質問に
「頑張っていたらこんな成績が悪いわけがない!!」と言われ、
帰りに車で事故を起こしたり、
大変心配をかけたことでしょう。
不真面目だったわけでは決してなく、遊びまわっていたわけでもなく、頑張っているのに成績があがらないというもどかしい中高時代を過ごしていました。
今考えると勉強の仕方が分からず、ただ単に机の前に座って、時間を無駄につぶす日々を送っていました。
中高には正直あまりいい思い出がありません…。
はまっていたのはプロレスと写真/カメラです。
プロレスはジャンボ鶴田・全日本プロレスの大ファンで一日中プロレスのビデオと週刊プロレスを見て過ごしていました。
本棚はプロレス関係のものでいっぱいでした。
その頃の熱は冷めましたが、今でもプロレス・格闘技・スポーツ全般大好きです。
中学入学時に「フィルムをただであげる」という勧誘文句にひかれて入った写真部では部長もさせてもらいました。そこで得た知識や技術は今の仕事にも役立っています。
中高時代で一番良かったことは、本当に大切な仲間に出あえたこと!
皆進んだ道は違いますが、今も多くの気づきや刺激を受けています。
国立大学歯学部を目指すと決めたのは高校二年の冬。成績的にはとてもそのレベルにありませんでした。先生には「現実を見て考え直しないさい」と諭されましたが、
たまたま一度テストでいい結果が出たことがきっかけで、奇跡的に広島大学に合格することが出来ました。
広島大学歯学部時代
私が大学受験をしたのは阪神淡路大震災のあった年です。
センター試験の直後に震災を経験しました。
京都に住んでいたため、私/家族は大きな被害にあわずに済んだのですが、広島大学を受験するときには新幹線が復旧しておらず、受験会場に行くまでに大変苦労しました。
受験の際にも情けないエピソードがあります。
実は広島市内に宿泊したホテルから大学に向かうタクシーで財布を落とし、飲み物もごはんも買うことが出来ず、初日の行き以外はタクシーを使うことも出来ず二日間の試験を受けることになったのです。
良く合格出来たと思います。
中高とは違い、大学ではそれなりに優秀な成績を上げていました。
空手部に所属し、充実した日々を過ごしました。
そして妻と出あうことも出来ました。
妻は大学の同級生です(私よりも優秀でした)。
卒業後は大学院に残って研究をすることにも興味がありましたが、、
まずは治療がきちんと出来ることを優先し、興味のあった補綴・外科・スポーツ歯科を学べる開業医で勤務することを決めました。
勤務医時代
広島大学歯学部を卒業後、勤務させていただいたのは神戸にある「まつだ歯科医院」です。
補綴(入れ歯や冠によって見た目や機能回復を行う治療です)とスポーツ歯科の専門医である松田成俊先生に師事しました。
一人一人に十分な時間をかけて、丁寧にきちんと治療することを徹底的に教わりました。
保険治療 一般治療だけでなく、様々な専門治療 自費治療も行うことが出来ました。
卒業後3年間は週休1日、朝8時出勤、夜11時帰宅という日々を過ごしました。
人生の中で一番勉強した日々でした。
朝から晩まで一日中治療のこと、患者様のことを考える毎日、
出来ないことが多すぎて、時間が足りないことに自分をふがいなく感じる毎日、
毎朝のように治療がうまくいかない夢をみて目が覚めるというようなハードな毎日でした。
でも、その時期を乗り越えられたことが自信となり、 多少の問題が起きても「大丈夫」「出来る」と思える自分がいます。
不安なことがあっても「この方向で進んでいけば間違っていない」と思える自分がいます。
松田院長には病気の診断や治療方法、技術を教わったのはもちろんですが、
・勉強をしつづける姿勢
・その場の痛みをとめるだけでなく、その方の一生を考えてベストな治療を提案すること
・診療だけでなくスタッフ教育や医院運営も考えて日々取り組むこと
・歯科医師/院長としての姿勢
など歯科医師としての在り方も教えていただきました。
ここで教わったことが今でも私のベースとなっています。
その後、まとば歯科で勤務をさせていただき、開業することになりました。
独立開業を目指したのは、様々な専門治療が出来るようになり、患者様と数年ではなく一生にわたり責任をもってお付き合いしたい
という思い、自分としての理想を追求したいという思いが強くなったためです。
開業
私が開業するにあたり考えていたことは
「一生自分の歯を大切にしたいと願う、健康への意識の高い患者さんにとって最良の歯医者にしたい」ということ。
具体的には 〝病気の予防” 〝質の高い治療″ 〝治療終了後のメンテナンス” を3本柱にすることにしました。
というのも歯医者になってみてしばらくは、いかにいい治療を行うか、どれだけ最新の治療法を習得するか、そのことに全精力を注ぎこんでいました。
でもあるときから『治療を頑張ることだけでいいのか?』と大きなストレスを感じるようになりました。
それは歯医者として治療するほとんどが、以前治療されている歯の再治療という現実。
なぜなのか・・・
例えば虫歯なら小さな虫歯をつめることから治療が始まって、次はかぶせになり、しばらくすると神経を取ることになり、またしばらくすると再治療が必要になり、終には抜歯となる。歯の抜けた場所をうめるために前後の歯を削り、その歯がまた虫歯になる・・・。
その繰り返しでどんどん歯が悪くなる。
歯周病も良く似た状況にあります。
これが今の歯科治療の現状です。
治療だけ頑張ってもいけないんじゃないか 歯をなんとか削らずにできるように、一度治したところが再び悪くなることのないようにすれば、ずっと歯を健康に保てるはずなのに・・・
そのことから治療はもちろんのこと、予防・メンテナンスを含めて歯を守ることの出来る歯科医院を目指しています。
開業地に選んだ豊中市上野西は実は私にとって縁もゆかりもない場所です。
私は京都出身ですし、大学は広島、修行先は神戸、妻も神戸出身です。
開業地として考えていたのは、
教育水準の高い、閑静な住宅街で、駅からは遠くてもいいけれど、車での通院がしやすい場所
出来れば1階で、40坪以上のテナント物件を京都・大阪・兵庫で探しました。
そんな物件はなかなかありません。
開業地探しに2年を要しました。
自転車で様々な場所をめぐりながら、この場所にマンションが建つという看板をたまたま見つけたことが、ますだ歯科医院のスタートとなりました。
開業後に治療方針について大きな変化がありました。それは、
専門家としての意見を押し付けるのではなく、患者様の話を聞くということ
開院当初に治療に来ていた父親に言われた一言が大きな転機になりました。
待合室で待っていた父親が、患者様へ治療説明をしている私を見て後で言った一言、
「英人ばっかり話しているなー」
父親にとって率直な感想だったのでしょう。
「治療説明なんだから私が話すのが普通じゃないの?」
「これだけ説明に時間をかけているのはいいことじゃないの?」とも思いましたが、
冷静に考えてみると、
専門家から見て、正しい治療・正しい診断だったとしても、患者様の思いや要望は千差万別。
患者様を見ずに、病気だけ見ても患者様の満足・納得にはつながりません。
どんな治療をするにしろ、
〝まずは患者様の話を伺う”
それが治療のスタートだと考えています。
患者様の言うように治療をするのではなく、
専門家の意見を押し付けるのでもなく、
患者様の意見も要望も聞いた上で、専門家の意見もお伝えし、
最終的には専門家として、責任のもてる治療を提供する。
それが、ますだ歯科医院が行いたい治療です。
現在そして今後…
この文章を書いているのが2016年。
開院して8年がたちました・・・。
今は患者様一人一人に向き合って、日々の診療をきっちりと行うことに加え、3つのことを意識しています。
1.世界基準の最新の知識/技術を身につける
2015年よりニューヨーク大学に短期留学しています。その他にも海外研修に積極的に行くようになりました。医院を休診としてまで海外に行くことで多くの気づきを得ることが出来ました。
足りないことも、逆に優れていることも…。
豊中市の住宅街にある歯科医院でも世界基準の治療を提供できるよう取り組みます。
2.チーム力を上げる
患者様にとって満足いただける歯科医院とするためにはメンバー全員のレベルアップが必要です。
2015年の医院テーマは「すばらしいチーム作り」と決め、メンバー同士助け合い、感謝し合う関係作りに取りくみました。
2016年からは「高めあうチーム作り」をテーマとし、メンバー同士が切磋琢磨し、職種・経験関係なく成長していく医院を目指しています。
3.院長不在でも大丈夫な歯科医院へ
患者様の増加に伴い、メンバーも少しずつ増えました。
メンバーが病気で休むとになっても、妊娠や出産で医院を一時的に離れることになっても患者様にあまり迷惑をかけずにすむようになってきています。復帰まで待ってあげることもできるようになりました。
何年もかけて、ますだ歯科医院の理念を理解し、患者様と信頼関係を築いてきたメンバーには長く勤務してほしいと願っていますし、一度医院を離れても是非戻ってきてほしいと思っています。
次は院長である私が不在でも大丈夫な歯科医院へ・・・
海外研修に行っても、病気になって休んでも、
同じ理念のもと、同じレベルの診療が提供できるように。
数年かかるでしょうが実現させたいと考えています。
ますだ歯科医院は、
すばらしいチームメンバーにかこまれています
そして、
すばらしい患者様にかこまれています
仕事にやりがいをもって、充実した日々を過ごせているのは本当にありがたいことです。
年々多忙になり趣味や遊びにさける時間が激減しました。
時間のかかるゴルフはしなくなり、飲み会に行く機会も減りました。
出会った先生方には「そんなに職場にいてしんどくない?」「真面目やね―」
と言われるのですが、それを苦痛に思わない職業 職場 メンバーに囲まれていることに感謝します。
当院を選んで来院いただいた患者様が安心して一生来院できるように、
当院で勤務してくれたスタッフが安心して長く働けるように、
将来私が引退しても同じ理念の下、医院が継続出来るように、
ますだ歯科医院のミッション
「歯科医療を通じて、一生笑顔で過ごせる人生のサポートを」
の実現を目指して・・・
メンバーと一緒に取り組みます。
よろしくお願いいたします。